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現役時代の海外滞在記、海外旅行記、写真仲間の記録です。


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アラビア語

私はアラブ圏での滞在が長かった。アラビア語もバグダッドや、リビアで結構覚えた。
リビア、バグダードではタクシーは、アラビア語で乗るが、また、値切るのも重要で
交渉によっては、大体負けてくれる。アラブ人はプライドが高く、負けてくれと
言えば、大概、値引きしてくれる。値引き交渉する客が哀れになるのかも知れません。
ある日、タクシーに乗って例によって値引き交渉。
「少し、安くしてくれないか?」 と、私。 
「幾ら引こうか?」と、運転手 
「貴方のお気の召すままに・・・」 と、私。
運転手は「・・・・」 無言。
言葉のやりとりで、・・・  「只でも良いのか?」 と、私。
「神の思し召しならば・・・」 と、運転手。
「本当!。そりゃ~ 助かる。 有り難う!」 そのまま、払わず降りてしまった。
   当時、私は20代の若さで、ゲームのつもりで値切る。
しかし、この値切りは今でも、済まなく思い、後悔の念しきりです。
例え 幾らでも、払ってくれば良かった。
アラビア語は現地で買い物をする時、殆どのアラブ人は英語を話さないから、
アラビア語で交渉する。家で使う女中もアラビア語だけで、英語は通じない。
言葉は、当時、英語、スペイン語、アラビア語と話せた。同僚のスペイン語は
見事で、話を聞いているだけならば、友の会話と思えない位、発音もテンポも
完璧だった。中にはペルシャ語、フランス語、それぞれの滞在先で身につけた
言語は見事な物でした。努力した人の、成果は大きい。
# by gantou | 2012-07-21 17:01

ローマコイン

ローマ遺跡近くの路上でボタンを拾った。後で良く見たらローマ時代のコインらしい。誰も管理人も居なかったし、路上なので、そのまま失礼致しました。ネット検索で見ると銅貨の場合は15$で、金額も安い。また、近くの展示場では銅貨が塊と為って展示されていた。
女性の顔はクレオパトラかな?大きさを比較するために100円硬貨と一緒に撮す。
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クレオパトラの顔側(表)
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コインの裏側
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このコインで、ローマ人はパンと交換したでしょうか?
カメラ:NIKON D800 レンズ:AFSMicro NIKKOR 60mm f2.8G ED
# by gantou | 2012-07-12 15:56

紫陽花寺と、他。

更新をサボっていました。投稿するが、内容に自信が持てず、直ぐに削除する繰り返しで更新に至りませんでした。本日は写真で、お茶を濁します。

別名、紫陽花寺の本土寺の五重塔です。一階部分には金色の仏像が何百と安置されています。
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恵比寿の喫茶店でコーヒーを嗜み、歩道をパチリ!
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友人で、癌と闘っていた戦友が、先に逝ってしまった。彼は良い男で、多くの人々が悲しみ、其の死を惜しんだ。亡くなる数日前にお別れしてきたが、その時の函館空港
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# by gantou | 2012-06-29 16:50

本土寺の菖蒲

松戸の古刹、本土寺は、別名・紫陽花寺と言われる程、紫陽花が咲きます。今日は紫陽花までは二週間早かった感じですが、菖蒲が満開?だが、盛りを少し過ぎた感じもします。
此の寺には、徳川家康の側室、秋山夫人も葬られています。墓は水戸の徳川光圀により建立された。
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# by gantou | 2012-06-07 23:15

Photoshop CS-6

このソフトはAdobe社のもので、色々と機能が有って便利なソフトだ。写真編集は勿論、ビデオまで編集出来る。只、値段が高いが、どうにか入手して使っている。このソフトを使ったら、他のソフトは使い辛い。
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# by gantou | 2012-06-06 09:33

鳥の種類

鳥の種類は尾長鳥と、聞きました。 この鳥2~3年前から見かけるが、名前が​分からない。黒い帽子をかぶって羽から尾びれは優雅、ヒヨぐらい​の大きさです。姿はいいんだけど、朝早くから前の電線に留まって​ギイギイと鳴き賑やかです。何と言う鳥か、分からず訊いてみました。この鳥は”尾長鳥”です。関東以北に居る留鳥で、西の方には居ない。ただ、10年足らずで、西から消えた理由は不明です。自然界の中で、淘汰が進んで居るのでしょうか?
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# by gantou | 2012-05-29 13:09

金環食

我が故郷は時々曇りで、雲と太陽が追い駆けっこしていた。でも、金環食を見られたのは憑いて居た。
地球の直径は12,756.2km、太陽は直系1,39​2,020kmで、およそ100倍の大きさです。5月2​5日の報道による数字です。
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# by gantou | 2012-05-23 21:27

太陽

太陽の黒点は大きいです。太陽の下側に有る黒点は地球の大きさ位です。CNNテレビニュースで放映してました。明日は金環食です。快晴には為らず、花曇り状態か・・・晴れて、太陽が出てくれないかな~ぁ!?
この状態は900年ぶりとか・・・  鎌倉時代の前です。 楽しみに明日を待ちます。
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# by gantou | 2012-05-20 10:58

クンシラン

クンシランが咲きました。例年ならば、一本の茎に数個咲くのですが、今年は一本の茎に9本も咲きました。冬の間は暖かい居間に避難させて3月終わりに外へ出しました。花の名前を間違えていて訂正です。
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# by gantou | 2012-05-15 13:59

黒い雲

この度の竜巻災害で罹災された方々に御見舞い申し上げます。つくば市の北条は昔、パラグライダーで、週末に何度も通った場所です。仲間は幸いにして無事でした。
アメリカのテキサス、オクラホマ、ジョージアなどが竜巻の多発地帯です。一度、ダラス空港にダウンバーストが発生して着陸寸前のジャンボ機が、ダウンバースト(下降気流)により、地面に叩き付けられて墜落した。空港への高速道路を走行中の車がジャンボに叩かれて大破した、運転手は悲惨でした。それらの事故の記憶が覚めやらぬ中に、私も経験する事になる。
ある日、出張から空路、戻る時、ダラス空港にアクセスして着陸態勢に入った。機体前方に何だか黒いものが漂っている。黒いものに接近して見ると地上から空に掛けて、巨大なカーテンが掛かっている。真っ黒でその先は何も見えない。このまま、雲に突っ込み飛行するのか、疑問を感じた。それから、旅客機はエンジン出力を上げて雲に向かって飛ぶが、同時に機体を右側に急旋回させた。左側の窓側席に居たが、右側の窓から地上が間近に見える。左側の窓は空だけが、見える。機体は90度近く、直角に傾け翼で地面を切り裂く感じで飛んでいる。まるで戦闘機の様なフライトだ。旅客機の腹は、真っ黒な雲の壁を擦るが如く飛ぶ。そして、機体は高度を上げた。キャプテンの機内放送でダラス空港は、気象が悪く、別な空港へ、隣の州、オクラホマの空港へ避難するとアナウンスされた。避難の空港へ着いた時、キャプテンがタラップ下で下りてくる乗客、一人ずつに挨拶した。私は、キャプテンのお陰で無事でいる。良い仕事を有り難う!と握手した。ダラス空港の天候も回復して,無事にダラスに帰って来たが、あの、戦闘機の様なフライトと、誇り高いパイロットを忘れない。
# by gantou | 2012-05-07 17:02

言葉

私は1973年頃から半年強の出張期間で3回程渡米した。そして1978年から5年間の北米駐在で働いた経験がある。海外の経験は北米のみならず、数えると40ヶ国に出掛けている。処が今の若い人達は、海外は御免で国内勤務を希望の若手が多いと聞く。真に勿体ない話で、官費で良い経験を積める機会を自ら放棄する人達を真に惜しいと思う。尤も年配者の中で海外を忌避する人が居るが、これは例外である。私事であるが、今になって現役のそれらの仕事を懐かしく思い人生の宝です。海外を忌避していた者には分からぬ良い経験だ。最近、駐在時代のビデオを見る機会があったが、画面の中の私は米人達と話し笑って居る。ビデオをレピートするも会話は聞き取れない。画面の中の私は聞くも、話すも完璧だった。ビデオは僅か二十数年前の事です。先日、カメラ愛好会で浅草寺に出掛けたが、外人に話しかけられて答えるのだが言葉が出て来ない。アレーッ?と、思うも喋れない。米人と会議で論戦した程なのに、忘れている。これと似た様な話を先日知りました。幕末の ジョン万次郎 は、海難事故で遭難し救助されアメリカ本国に渡り、そこで高等教育を受け優秀な成績で卒業し、ハワイ経由で同地に居留していた他の仲間と日本に帰国した。鎖国状態の日本では苦労したが、最期には幕府に召し抱えられ通訳として働き黒船で来航したペリー提督の通訳も勤めた。後年、ジョン万次郎は米国の昔馴染みの友人の来訪を受けたが、その時は英会話が出来ず意志の疎通が出来なかった様です。我が家の子供も帰国した時、英検二級を取得したが、残るのは証書だけで英語は忘れている。子供の発音は当時、大変良かった。アメリカ人の様な素晴らしい発音でした。
  
# by gantou | 2012-04-28 11:15

春の写真

光と影 。恵比寿ガーデンの歩道で
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千鳥ヶ淵
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カモメの乱舞
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消防士 (スロバキアの歩道で)
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# by gantou | 2012-04-27 16:05

柏の葉公園にて

柏の葉公園の広場に桜が満開です。写真一コマに入りきれないから、4枚の写真をパノラマにした。
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# by gantou | 2012-04-18 09:23

桜、そして桜

桜満開の時に枝から、枝を覗き見た。プロも好感持って批評してくれた一枚です。私も好きな一枚です。
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# by gantou | 2012-04-17 11:23

千鳥ヶ淵

先日、千鳥ヶ淵に行って来た。見事な桜で、各放送局も取材に来ている。
素人写真ですが掲示します。
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# by gantou | 2012-04-15 08:52

コーラス

ロシア人は世界の中でも有数な人の良い民族です。人当たりの良さは最高でした。ロシア人の仕事ぶりは、男女の差も無く良く働く。局舎は一部工事中で建設中でしたが、建物は煉瓦を多用し二重窓の建物です。煉瓦を積むのは女性の仕事で、美しい煉瓦工が働いて居た。煉瓦工の仕事を見ていたら、グループの班長?が、若い女性を紹介して山へ行けと云う。余りにもオープンで先日のホテルの事件もあり驚き断った。我々は数少ない局舎の働き手だから、毎日顔合わせて居ると親しくなるが、彼等の別な特技に毎日楽しませて頂いた。昼食が終わると、彼等はコーラスを始める。その、ハーモニーは美しく、色々なロシア民謡が歌われて聴き惚れた。私にも歌えと言うが、聴くだけでした。班長は私の名前を訊いて覚えられず、これからは 「ニコライ」 に、しなさいと言う。ロシア革命で命を落とした気の毒な最期の王様です。庶民の中では、其れなりに、敬われていたようです。歌声と言えば、ナホトカ駐在の商社事務員は大変な歌い手でした。ロシア語が当然ながら堪能で、彼の話すロシア語は完璧でしたが、ボルガの舟歌をパーティーの席上、歌ってくれました。ホテルの食道で歌ったが、レストランにいた客は、一様に聴き惚れていた。昼時のコーラス、ボルガの舟歌、帰国した後も暫く、ロシア民謡のレコードに聴き惚れていた私です。
# by gantou | 2012-04-07 18:28

ボストークホテル

ナホトカ港に入港すると、港内は一面の氷原と化して、市民が長い鉄棒を持って、沖の船の傍に歩いてくる。市民は氷に穴を空けて釣りを始める。釣果は知らないが寒い釣りだ。やがて、船は接岸して上陸だが、ボストークホテルにチェックインする。ナホトカの一流ホテルだが、3階建てだった?様な気がする。エレベータは無く階段で上がる。大部屋を割り当てられて4人のスタッフが同部屋だ。クレームは出せない。ホテルの言うが、ままだ。トイレ、シャワー、バスルームは共同使用。トイレの個室はドアーが壊れて閉まらない。個室の前を通り過ぎるロシア人は、ドラストビーチェ と、座っている私に挨拶して行く。我々は三階に居たが、階段上がって来ると、階段の踊り場に椅子が置いてあり、椅子からお尻がはみ出すようにして座っている太っている、おばちゃんが居た。何のために座っているのか、後で分かったが、住人以外の人が来ると警察に通報して取り締まる為だった。ある日、シャワーを使って暖まり、頭にタオルを載せて長い廊下を部屋に戻る時、目の前で客室のドアーがバーンッと、勢い良く空いた。何事かと思っていたら、次に全裸の若い女が廊下に飛び出してきた。飛び出したのでは無く、放り出されて廊下に投げられたもの。真っ白き肌が目に焼き付いている。すかさず、コートが室内から、廊下の女に投げられた。室内を覗くと軍人がベッドに座っていた。他に取締官と思われる男が二人立って居た。ロシアは不倫罪が在り、取締が厳しく、監視ばばぁが、告げ口したのでしょう。廊下に放り出された女は、コートを肩から掛けただけで氷点下の表に連行されて行った。当時のロシアは共産主義で官憲の力は強く、一般人は逆らえない状況でした。増して違法行為では救いようがない。
# by gantou | 2012-03-28 16:17

ロシア出張

1969年2月ロシヤ・ナホトカに出張した。当時、横浜~ナホトカの客船航路が有ったが、我々はデンマークのケーブル敷設船、ストア ・ノルディスケ号 1500tで渡航した。客先のスーパーバイザーも乗船し船旅の始まりです。見送りに来た友人が、こんなに小さな船で日本海600kmを、乗り切るのか?!と、驚きと、哀れみの目で見ていた。船は最期の航海でこの任務終了後、廃船になる運命の老朽船で、船長が買わないかと、話していた。 我々の任務はKDDが新たに敷設した海底ケーブルを利用して、日本の直江津からロシアのナホトカ地上局を経由して、モスクワと結び、日本・ヨーロッパとの通信回線の拡充を図るもの。そのナホトカ地上局へ通信装置の輸送船に便乗し、渡航した物。横浜港を出港して太平洋岸を北上したが、津軽海峡を出るまでは穏やかな船旅でした。舳先が津軽海峡に出た途端、船はシベリアからの猛烈な向かい風の季節風で、進まなくなる。津軽海峡の日本海側に在る、小島、大島が操舵室のレーダーに映るが、島影は何時までも距離が変わらず船のスピードが、向かい風で上がらない事を示していた。船内では、揺れも激しく、上下に揺れるが、後尾のスクリューが海面上に出て、ゴーォと、唸る様に空回りする。食事時にはテーブルも揺れるが、身体を、椅子に落ち着かせるのも大変。テーブルの食器が滑り始めて動き出す。ボーイが直ぐに、白いテーブルクロスに水を撒き、食器の滑り止めを図る。更にテーブルの周囲に10cm位の板を立て、物が下に落ちない様に囲いを付ける。普段は下に、ぶら下がる様に垂れ下がっているが、非常時に180度起こすわけ。その状態でも、テーブルは波の上下で傾くが、どうにか、木枠の中へ肘から腕を入れて食事できるが、何人かは船酔いになる。荒れた船上で美味い酒と、美味しい料理を食し、お腹一杯になる剛の者も居た。船は揺れるが、当然、波飛沫も甲板を洗い、冬の氷点下の甲板で、飛沫は船上のロープから手すり等、あらゆる物を氷で覆い尽くす。乗組員はそれらを放置すると、船の転覆に繋がるので、片っ端からハンマーで氷を叩き落とす。甲板は氷で滑り易く転べば、荒海に飲み込まれる危険な作業です。船員で甲板員は香港からの雇用で、全員が中国人でした。
# by gantou | 2012-03-23 18:37

関東大震災

東北大震災・津波災害から一年経ちましたが、亡くなった母が、関東大震災を経験して、体験談を話してくれました。大震災の時、針子の修業していたが、地震発生で表に飛び出して、針子の仲間と、表の通りで肩で四つに組んで、倒れない様にして揺れから身を守っていたと話していた。揺れが修まり歩ける様になってから針子の友と別れたが、それっきり彼女とは会えなかったと、話し、彼女の安否も分からず、どうしたろうねェと、言っていた。 揺れが治まった後、母は家に逃げ帰り家族と避難したが、震災後、火災が発生して、町は熱かったそうだ。母達は深川の木場の運河に飛び込み熱波から身を守ったと言う。その方法が川の中で、”むしろ” を、祖父が母や家族の頭に被せて、川の水をむしろに、掛けて濡らし熱を防いだ。熱波は強く、むしろが直ぐ乾き熱くなるので、その都度、祖父がむしろに水を掛けて凌いだという。その時、近くの場所、広場で避難民が10万人焼け死んでいる。避難で持ち込んだ、箪笥などの家財道具が、熱波で次々と、発火して広場は紅蓮の炎で埋まったそうだ。震災の火事は火が無くても、熱波で自然発火して燃えるそうです。家族は、その後、栃木県足利に逃げ、祖母の実家で、家を建ててもらったが、その仮住まいで暫く生活していたそうだ。母は、それ以後、地震が来ると、”震度 1” でも、寝ていても起きる様になった。恐怖が、身に染み付いて居たのでしょう、今年は母の生誕101年になります。その母も94歳で亡くなり、七回忌で母を偲びました。
# by gantou | 2012-03-16 18:41

研修出張

1972年、6月、アメリカ・ワシントンDCに出張で研修に出掛けた。目的は衛星通信の保守用連絡回線に使われる電子交換機の実習である。世界の地上局をカバーする衛星が、大西洋、太平洋、インド洋の上空36000kmに静止型衛星を三基打ち上げ配置し、全世界をカバーしている。電子交換機は各国の地上局同士を接続して、保守用連絡回線を形成するもの。そのシステムは、NASAのエンジニアがミニコンピューターを、中核に据え付けた装置を開発し、電子交換機化して起業したもの。世界の通信地上局は衛星通信機構 INTELSAT からの推奨で、そのシステムを、新設の地上局は義務的に購入させられた。我が社の衛星通信システムも其れを客先に納める必要から、誰かが研修に出掛ける事に成った。1972年当時には、コンピューターは、まだ一般化されて無く、ミニコンと云われても、後年、NEC が開発した98コンピュータより、性能は低く、メモリーはフェライトコアーで、小さなメモリー容量だった。このミニコンに僅かな仕事をさせるだけでしたが、年中、壊れて修理の連続で、客先引渡が遅れて、プロジェクトの足を引っ張った事を思い出す。
  実習はワシントンの会社で行われたが、ミラーさんが、装置説明書を基に説明するが、コンピューター事始めの私と相棒には、用語自体が初めてで、大変なことになったと、覚悟した。ワシントンの観光も無く、ホテルに籠もって、毎日説明書と格闘していた。語学は相棒が出来ると言われて居たが、頼りにしていた相棒の語学は、私より貧しく、とても助けにならず毎晩3週間を徹夜同然の状態で過ごしたことを覚えています。ミラーさんが辛抱強く教えてくれたので、どうにか取り扱いを習熟して、総てを身につけた。当時のミニコンはテレックスの送信機と同じテープリーダを使い、ミニコンのブートストラップ(パソコンのBIOS)を、紙テープに印字されたデータを入れる必要が在り、電源を入れても、手動で一連のオペレーションにより、ミニコンを立ち上げる必要が在った。この誰も知らない特技のお陰で、スイス、カタール、ニカラグア、メキシコへ、訪れる事が出来たのは良き想い出です。
# by gantou | 2012-03-09 12:54

ある日の情景

写真のソフトでフィルターを購入した。二年前の情景だが秒速で変化して行く色彩に見ていた人は歓声を上げていた。色が中々再現できなかったが、このソフトで良い色が出て来た。デジタル写真は色々なデーターが内包されていて、それらをソフトで引っ張り出すと、画像は見違える程、変化する。
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写真愛好会で掲示することにした。写真の上で左クリックすると画像は拡大されます。オリジナルは高さ34cm横1.2mあります。
# by gantou | 2012-03-04 09:00

命拾い・その二

最近は秋田県仙北市に在る玉川温泉の2月1日に発生した雪崩事故は報道に出て来ないが、私は岩盤浴が好きで1月30日迄滞在していた。帰宅を延期して滞在を延長していたら、雪崩に遭遇していたかも知れない。命拾いした。 今年は、例年にない大雪で、地元秋田県人も恐怖感を感じるほどの積雪でした。
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この写真は昨年の12月に撮影した、雪崩被害のテント3張りです。12月末で1ヶ月前の情景ですが、積雪の多さが分かります。この付近では20年以上前から雪崩の被害は一切無かったので人々を安心させて居たようです。私も、熱い岩盤が楽しめるので、中央のテントが好きで、一日、3時間程、利用していました。岩盤では裸足で歩けないほどの熱が岩盤にあり、畳表のゴザを二枚重ねて敷き、タオルを身体に掛けて横になります。10分もすると、噴き出す汗で、身体はぐっしょりと濡れます。同じ姿勢で居ると、低温火傷をするので、身体を少しずつ動かし、1ヶ所の熱を避けます。しかし、皮膚表面の温度は高くても身体内部の温度は、厚い脂肪と肉で覆われて、大きな魔法瓶の感じで、内部にはストレートに温度は伝わらないが、0.4℃上がると,医者は話していた。その0.4℃でも、免疫力が増えるので、癌に対して効果が在るそうだ。
そのような岩盤浴だが、玉川温泉へ湯治に行く人々は、医者から見放された人や、癌の進行を只、見詰めるだけの人も居て、溺れる者は藁をも掴む心境で、湯治に 来 ている。彼等は達観している。きっと、医者から余命を宣告され、黄泉の国を覗いた経験が有るからか、他人に対する優しさ、思いやりに満ちている。宿の従業員 は、湯治 客は素晴らしい人達だと言う。食事時には、何時も彼等と同席して、心地よい時間を過ごさせて頂いたものです。
# by gantou | 2012-02-21 12:35

ハイパーサーミア

ハイパーサーミアを受診してきました。保険無しで受けてきたが、身体の背中と腹に電極?を、付けて電磁波を送り出す。本日は第1回目をクリニックで受診したが、玉川の岩盤同様の感じで、40分受けました。身体の内部に45℃? の、熱を蓄えて癌を攻める が、電磁波、1200W (最高1500W)を、背中と腹部の両方から送る装置の表面は、皮膚に接触していて冷たく感じます。しかし、身体の内部では、高熱になり血液も温められるので、身体は温まり汗が岩盤浴 同様に、噴き出します。大変、気持ち良かった。来週は保険の利く目黒の、温熱療法・ハイパーサーミアを予約した。場所によって治療費に大分差が有るようです。毎週一回を、8週連続加療して4月11日の癌研でCTを見た時、どうなるか?楽しみだ・・・。 近代医学とは違い、亜流になるかも知れないが、何にでも ”アグレッシブ”に が、モットーだ。理由は、癌研で消せない腫瘍が残っているから、闘いは終わっていない。様子を見ていて、腫瘍が暴れ出したら、増殖して、更に転移する危険もはらんでいる。完全に消えたなら、終戦だ。筑紫哲也キャスターも小細胞癌でしたが、二年前に、負けて亡くなってっている。
# by gantou | 2012-02-20 23:26

命拾い

私は危機一髪、事故直前に現場を離れたことが二度あります。交通事故も入れると三度になる。
最初は、1972年12月に中米・ニカラグア共和国・マナグアの直下型地震により、マナグア市が壊滅的な被害を受けた時です。帰国して初めての日曜日に安眠をむさぼっていたら、今は亡き母が、私を起こす。”大変だよ、○○○が居た街が無くなったヨ!” と、言う。寝ぼけ眼でテレビを見たら、マナグアが直下型地震で壊滅したと、言う。 当初、マナグアが大変なことになったらしいと、世界は耳目を欹てて、マナグアを注視していた。其処へマナグアからの第一報が発せられた。マナグア市郊外に建設された衛星通信地上局、局長からの第一声が世界の衛星局に専用回線を通じて届けられた。「マナグアは地獄だ!世界の救援を頼む」 と、悲痛な叫びが届いた。これにより、世界の救援活動が始まった。後日、聞いた話だが、実際に現地で地震に遭遇した人は、家の外に出たが、歩くこと叶わず、四つん這いで表通りに這って出たと言う。私が寝ていたベッドには、家の大きな梁が落ちて来て、寝ていれば梁の下敷きになり死傷したろうと話していた。テレビニュースでは白黒のホテルの写真が、アナウンサーの解説の間、写っているが、実際はもっと、カラフルな街で家の瓦や、椰子などの緑もあり、美しい街なのに残念と思っていたが、私の撮って来たマナグアの8mmフィルムが、其れを伝えてくれると思い、NHKに電話して提供を申し入れた。直ぐに担当者が黒塗りのリムジンで来宅、フィルムを渡したら、その足でニカラグア大使館に向かいフィルムの内容を確認したそうだ。夕方7時のニュースで、私のフィルム30分は、10分強に編集されて流された。プロの仕事は凄いと感じた。拙い私のフィルムが見違える様な、震災前の記録フィルムになった。10分強流れたが、翌日会社の役員会、社内で持ちきりになった事を憶えている。懐かしい幼友達が電話してきたことも印象に残っている。
民放に提供する事も、考えたが全国ネットで皆が見てくれると思い、NHKに提供したもの。
# by gantou | 2012-02-17 00:45

気功の大家

玉川温泉の帰り際に、凄い人に会った。年の頃70前後と思われる。彼女は歩いている私を見て、肺気腫と彼女の付き人に断定していた。彼女が、湯治客仲間の不具合を風呂場で面倒見て、マッサージで、症状を軽くしてあげた経緯も有り、 その仲間の紹介で知ったが、ロビーで話をして、彼女から肺気腫と言われたが、図星で驚いた。マッサージは、指先で身体に刺激を 与えるが、"気" を、送り込んでくる。彼女が厚い防寒着の上から手を優しく当てるだけで、掌が熱く感じて気持ち良い。 思わず、彼女の手を上から抑えて、気持ち良さを、再確認した。 他の湯治客仲間にも、手をかざして身体の悪い処を指摘して、病の対処方法を話していた。世の中には特技を持つ人が、居るものですね! 彼女は武蔵野沿線で、開業しているので、今度、出かけて見ます。私は、”気” を頂いた性か、身体がポカポカして来た。顔色も良くなったと、仲間が言う。 ”気” の大家なのでしょう!
# by gantou | 2012-02-07 22:17

岩盤浴

昨日の玉川温泉は、外気温がー10度、吹雪いてる。それでも、800m先の岩盤浴に二度も行った。朝は4時半開始で、6時半迄、二時間居た。午後は1時間で切り上げた。長く居ると温泉疲労で、続かない。今日も3時半起きで、頑張って行って来た。ムシロを二枚敷いて、パラグライダーの布製寝袋に入って冷気を遮断し、キャンプ用のアルミ箔を、蒸着した、グランドシートを掛けていれば、パジャマ姿だが、ー10度でも暖かく、30分で汗が、グッショリです。肺の小細胞癌も小さく成ったかな? 滞在中の他の湯治客も、氷点下のー10度で吹雪いている悪天候では、怖気ずいて出口からスムースに出られない。そこで、「頑張って、岩盤浴!」と、声掛けたら、笑いながら出て行った。湯治客仲間の、一つの合言葉になった。出来る事は、何でも履行して後悔の無い様にしたい、ベストを尽くすのが、今の私の目標だ。後に成って、もう少し、あれを、これも して置けば良かったとは、言わない様にベストを尽すのが、湯治客の共通した意向でも在る。
# by gantou | 2012-01-27 11:57

北投石

この鳥居の下には北投石が有る様で、この界隈では一番の放射線が出る場所です。北投石はラジューム線が放射して居て、特別天然記念物に指定されている。世界の中でもこの希少な岩石は台湾と日本では玉川温泉でしか、産出しない。出てくる放射線は癌に効くと言われて盗掘が絶えないそうです。今の季節では雪が邪魔して無理だが、雪のない時期は、鳥居の下に静かに寝て、放射線を浴びている人が絶えない場所です。
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# by gantou | 2012-01-17 15:04

玉川温泉・岩盤浴

玉川温泉で岩盤浴が楽しめますが、火山の地熱が出て熱いところです。其処では亜硫酸ガスも噴き出しています。テントの中で岩盤に横になっていると、風向きによってはテントの中に有害な亜硫酸ガスが多く漂ってきます。湯治客はタオルなど、マスクして、ガスを防ぐが、タオルを濡らして鼻の周りに掛けるのが、亜硫酸ガスは水に溶けるから効果的と言われる。テントハウスの周囲の壁は蚊帳と同様な編み目で覆われていて、風通しが良くなっている。テントの中にガスが滞留しない工夫でもあるテントハウスは、三張りあるが、中央のテントの岩盤が一番熱く、効果的だと思う。他のテントも其れなりに熱いが、私には物足りず、やはり中央のテントが恋しい。周囲の壁も目が細かい網だから、吹雪いた雪で氷の壁になっている。 一張りのテントに十数人、横になれる広さです。
# by gantou | 2012-01-14 21:27

CT結果

毎月、5泊6日で湯治に行くが、長期滞在であれば湯治の効果も著しく出るかも知れませんが、退屈で、退屈で・・・ 食事は不味いし、長居できないです。本日のCTスキャン結果は若干小さくなったと思い、思わず担当医に小さくなった!と、言ったら、医者は何もしていない病巣が小さくなるわけ無いと、「変わらないです」と、言う。何もしない癌が小さくなるのは、彼の教科書には、また、過去の症例には無いのかも知れません。CTを見て、気持小さいかな?と、思うが、画像を切り貼りして一枚の写真にしたのが、添付写真です。 今年1月6日・縦12mm横13mm 。 昨年10月3日・縦13mm横15mm と、見る。温熱療法の効果が有ると感じますが、先は長いです。医者が治せないなら自己努力で治す。
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# by gantou | 2012-01-13 11:54

雪  国

玉川温泉は秋田県北部、青森県、岩手県の県境近くで日本列島の中央に位置するが、日本海の気象条件を受けやすく、海からの風が山脈に当たり、湿気が大雪と成って舞い落ちる。
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積雪が多いので、温泉の岩盤浴に往き来する遊歩道は雪で埋まりそうになるが、川の水を道路に流し雪を溶かして歩道を確保している。この雪は降り始めだったが、今は2m位の積雪と言われて居るから、両側が雪の壁になり、冬ならではの景観を楽しめます。写真の湯治客は岩盤浴の帰りで手には、熱い岩盤浴で使用した ”むしろ” を、持っている。
# by gantou | 2012-01-12 10:10